おくらあえ

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『きまぐれラブライブ!通信 vol.15~アニメ版『ラブライブ!』で穂乃果と絵里が初対面の設定だったのはなぜなのか~ 』

当初の設定から、2年生である穂乃果と3年生である絵里。学年こそ違うものの、お互いは幼馴染という設定があり、コミックや本家電撃G's magazineなどでもその間柄を垣間見ることができました。


しかしアニメ版『ラブライブ!』では、穂乃果は絵里を見た時、海未にあの人はだれかと尋ねました。

絵里ほどの特徴をもつ人物の人相を、名前ごと忘れるというのも考えづらく、これは穂乃果と絵里は初対面であるという可能性が高いと考えます。



なぜ従来通りの関係をあえて捨て、初対面という関係でアニメを進めていったのか、その理由をあげるとすれば、やりたいことをやって学校を存続させる穂乃果というキャラクタと対称になるキャラクタが必要だったと考えるからです。



なぜそういったキャラクタが必要になるのかということについては、「障壁を造ることでストーリーを際立たせる」ことが妥当だと考えます。


これを採用することで、第8話にて「僕らのLIVE 君とのLIFE」のPVの1シーンをより輝かしいものとして映えさせることができていたように思います。

また、逆説的に理由をあげれば、穂乃果と絵里が幼馴染であるという設定のままだったら、あのシーンを第8話までに、絵里と希以外を加入させて描くということは非常に難しかったのではないか、とも思いました。加えて、穂乃果と絵里ばかりがフォーカスされ、μ'sの結成過程を描く非常に緊張感のあるストーリーで、他の7人の心情があまり描かれなくなってしまう恐れもあったと考えます。そういった中で「穂乃果と絵里の幼馴染という設定」と天秤にかけ、取捨選択をしたのではないでしょうか。



「やりたいことをやって廃校を阻止しようとしている穂乃果」と「やりたいことができない、させてもらえない状態の絵里」。OPで厳格な顔つきで対面する2人を描いたのは、2人のストーリー上の立ち位置を端的に表現していたのだと思いました。